ビラヴド (トニ・モリスン著 集英社文庫 1998)

かなりキケンだ。むかし奴隷だった女が、何かをこれほど愛しているのは危険なことだった。しかも愛しぬこうと決めたのは我が子だったとしたら、なおさら危険だった。いちばん賢いやり方は、ほんの少しだけ愛しておくのだ、と彼は経験から知っていた。(第1章 P92)

ビラヴド (集英社文庫)

ビラヴド (集英社文庫)

※以下の内容には『ビラヴド』のネタばれが含まれます※
長い長い小説だった。長い小説は、読み終わるのに時間がかかるし、時に退屈な作業を強要されることがあるけれど、その物語の価値観を五感を使って風のように感じることが出来る点で非常な優位性を獲得していると思う。
対抗馬は、大スクリーンの7.1chとかで、映画を見ることかな?それでも映画の場合は違うエフェクトに気が散ってしまうだろう。
文字媒体はもっとスローでウエットなことも肌で感じることが出来る。
もしかしたら映画でも感じることが出来るかもしれないが、それにはすこしハリウッド化されすぎた節がある。
いつかナイジェリア映画なんかを(ナリウッドとかいうんだっけ?)7.1chで浴びるように見てみたい。そしたらすこし映画にできることが増えるかもしれないから。
さて本題、そうは言っても、もう頭から読むなんてしたくない長さだったので、プロットを打とうかと思います。
『ビラヴド』を一言で表すと、
セテが過去に失った娘が現れ、また戻る話。そして、シンシナティの黒人たちがセテと娘についてのあれこれを克服する話。    でしょう。
話はベビー・サッグスが死んで数年後の124番地から始まる。ちなみに舞台は一切変わらないが、やたらたくさんの回想によって複数人が時間を巻き戻すので、かなり多くの時代と舞台が交互にあらわれる。
ポールDが現れ、幽霊を追い出す。 ビラヴドが現れる。 セテが、もうはいはいしてんの子(ビラヴド)を殺したことを知り、ポールDが124番地を出る。 3人での生活が荒廃し、とうとうデンヴァーが町の人に助けを求める 町の人がセテを許し(?)ビラヴドの浄化に成功する。
これだけ。 次に過去の話。
<セテ> スィートホーム農園に買い取られ ハーレと結婚し、3人の子を生み 逃亡(農園に先生が来たため) 逃亡中に白人エイミーの助けもあり、デンヴァーを生む 124番地にたどり着きベビーと町ぐるみでパーティー 先生が現れ、もうはいはいしてんの子の首を切る 監獄へ。
<ポールD> スウィートホーム農園で奴隷だった シックソウの逃亡計画(先生の登場により)に乗る 逃亡失敗とシックソウの処刑を見る ハーレがセテ凌辱の現場にいたことを知る 逃亡 再び奴隷へ 逃亡(チェロキー族などと共に暮らす) 南北戦争に参戦 奴隷解放
<その他覚えておきたいこと>
ベビー・サッグスは124番地に来た頃「開拓地」で黒人たちのよりどころとなる指導者で、信頼されていたが、セテの子殺し以来、誰も124番地に寄り付かなくなった。
最後にデンヴァーが助けを求めに行くレディ・ジョーンズには以前デンヴァーは読み書きを教わっていたが、教え子の一人ネルソン・ロードにセテのことを言及され、耳が聞こえなくなり、以後幽霊(ビラヴド)と遊び、124番地にこもっていた。    以上
まず重要なのは、私たちには黒人差別だとかそういう感覚が分からないということだろう。だから、むしろこの問題に対して極めて客観的にとらえることが出来るのではないか、そんなふうに考えた。だけど、実際に500ページの長旅の間に触れた意識の中では、わたしは白人にこんなひどいことをされた。そしてあの人はこんなひどいことをされた。それに私たちは耐えるしかなかったし、今それを共有した人たちがここに集まっているのだ、というようなことの繰り返しだった。これを聞いて読者やデンヴァーは苦しんだり悲しんだりするけれど、語り手自身を含めて、さて、今を生きるということに関してこういった話はある程度にしておいて、先に進まなくてはならないという何か得体のしれないジレンマに陥ることになる。そして、この話結局、日本の原爆の話とか、ホロコーストの話とかと構造上軌を一にするなと思った(諦念という言葉がとてもしっくりきた)。こうしてビラヴドは二十四の瞳になり得たわけだけど、これが、私自身とは全く次元を異にする世界での全く違う均衡であるという、2つのことが同時に理解出来たのは、やはり文字媒体だったからかなと思った。
そして、セテがビラヴドを殺したことについてどうしても触れなければならない。それは、『ビラヴド』という物語が、この殺害を軸にして回る世界だから。この殺害はちょっと特殊なわけです。それは、ビラヴドとは愛されし者(be loved)のことだから。
曖昧で申し訳ないんだけど、ジジェクか誰かが、自分の所有物や大切なものをあえて破壊することで、脅しや制約から逃れるシチュエーションを説明していた気がする。
『でかい月だな』(水森サトリ著)でも大切なものを破壊する癖をもつ人が出てきますが。
『ビラヴド』ではしかし、セテはその後死んでビラヴドに会おうと考えていた点で、どうも上記の例とは違うものをサンクチュアリに求めているというか、ある意味独占欲のような、しかし類似点も多いような、微妙な違いを感じる。そして興味深いのは、本書では、殺された(=守られた)側の主観的な意見も書かれていることでしょうか。ビラヴドは依然としてご機嫌斜めだけどね。そして、殺されたっつってもあんた、それはやっちゃいけないでしょう、的な意見で話がまとまることも面白い。
最後にもうひとつ。結局デンヴァーは、母親をどう思っていたのか、よく分からなかったです。初めにポールDが来た時には母親をとられて寂しいと言っていたのに、実はビラヴドのように殺されないように愛されようと努力していた、などと言っている。いや、もしかしたら子どもにとって、唯一親は、畏怖と甘えを表裏一体に考えられる対象かもしれないけれども。おわり。