天国の発見(ハリー・ムリシュ著 バジリコ 2005)

「それ以来、天国の側からは、遠近法の消点をすり抜けてこちらの世界にはいって来たものはいない――きみはもしかして、そう言いたいのかな?」

「そういうナンセンスはわたしの口からは聞けないわよ」

「残念」

「消点の天国の側は存在しないの」<中略>

「そんなの意味のないたわごとだと思うわ。一時性と空間性のみが永遠なのよ」

「それさえも永遠ではないようだ」彼もうつぶせになった。「天文学ではときどきそのことを疑ってきたはずだ。…」 (上pp287~288)

天国の発見(上)

天国の発見(上)

最下部に参考別紙(1_シナリオ展開、2_キャラ用語)UPしました

※以下の内容には『天国の発見』のネタばれが含まれます※

天文学者はマックスである。この時会話相手のマリリンは美術学士でキューバの革命コミューンの任務を遂行している。オノはアマチュア言語学者だったが、政治家に。アダはコンセルトヘボウのチェリストになった。皆しっかりとした社会基盤に根付いている。

 

個人的な話でいえば、本書は揺り戻しに相当している。

お話はお話、社会は社会、分類の切り口が増えるごとに、思考と社会が分離して専門分化していく方向に行きがちになる。

本書の登場人物たちは、みな自信があって、社会に地位があって、社会的な目的がある。社会の中で生きている人にとって、社会に全力で迎合しようとする人は好かれる道理ではないだろうか?このような人たちは自己啓発本の中でのみ輝き、お話の世界では後ろ指をさされる必要はないように思われる。

いや、おそらくそれは私の観測上の問題でもある。だからその偏りに対する揺り戻しのつもりということ。

 

ほかの登場人物、下巻の城の同居人たちも、みんな職業を持っている。テマート氏は建築士の教授で、ピート・ケラーは錠の修理師だったり。職能をもって話を進めるということ、これは本書目線においてとても大事なことであり一貫してる。

 

 

人間社会のことを色々言ったすぐ後でなんなんですが、本書は天界の話である。一言でいうならば、天使が、石板(モーゼの十戒原本)を天界に取り戻すため地上界を操作し、クインテンに奪回させる作戦の成功経過を上司の天使に報告する話だ。既に冒頭では任務は事後でそこから報告(=回想)ということになっている。だから、まずは人間社会ではなく天使の目的から始めなくてはならない。

 

天界のこと

本書は「任務完了、一件落着です。(上p010)」という天使1(部下)から天使2(上司)への報告からスタートする。ああ、完了したんだな、と思った。

ところが、本書の終わりエピローグに相当する場面で、たまりかねた天使2が「われわれはおしまいだ。世界はおしまいだ。人類はおしまいだ。(下p606)」と言って幕となる。石板を奪還するという任務が完遂されたことを認めているにもかかわらず、である。

 

いきなりこれが本書最大の謎と言ってもいいだろう。

これをどう考えたものかな。先んじて言えば人間側の目的考察後に結論が出るとしたいと思う。それは最後に。

 

謎はいったん棚上げに、先へ続けさせてもらうことにします。天界の状況を整理すると、

  1. 天使1はモーゼの石板奪還作戦のチームリーダー
  2. 天使2は天使1の上司で、神は「チーフ」と呼ばれている(天上位階制)
  3. だれかを大工に任命しておきながら、同時に木が切られることを禁じることはできない(下p313)
  4. 3=自分の感情に反することをやらせるのは、それほど簡単ではないんです。人間はマリオネットではありません、彼らにも自分の意思があるのです(上p310)
  5. 人間が神を信じなくなってきたのは、400年前フランシス・ベーコンとルシファー・サタンが悪魔の契約を結んだから。天使2の証言で天使1は知らされる。(下pp314~321)
  6. 地上に生まれるとは、天界の<火の粉>の一つが瞬間的に365イーオン、さまざまな世界と世代をとおって降りて(上p307)ゆき宇宙の物体が付着していく
  7. 天界の<光>のなかに<闇>の芽が潜んでいるように、<闇>はわれわれの<光>に向かっており<中略>身分のつり合わない結婚のような結びつきは、最終的にわれわれの世界の存在の意味(上p306)
  8. 報告は1967.02.14~1985.初夏の出来ごとを追っている。
  9. 天使1はクインテンの祖父母世代から、地上界(=現象界)をコントロール

こうした条件が見えてくる。

 

はじめ、短絡的にこう考えた。

命題[天界の状況1と2]は背理法で調べると、エピローグの天使2のような矛盾が生じる。つまり、任務達成したが達成できなかったというような矛盾。よって天上位階制は不成立、神はいない。

ところが、これこそサタンと手を組んだフランシス・ベーコンに教わったことだけど、先入観バイアスだろう(市場のイードラ、かな?)。もとより私にとっては神はいないほうが都合がよかっただろうから。

 

振り出しに戻ってしまったが、ともかく天界らしく(?)付帯した出来事は起こらず、知識(事実)に関する記述があるだけである。

特筆すべきことがあるとすれば、天使1がデウスエクスマキナで人間を殺したりコントロールしたのを、天使2はずっと相槌を打ちつつ進行していくにもかかわらず、最後にいきなり嘆き憤り始めるという謎が発生するということ。

ただその前から、天使2は地上界の報告への感想を語る。これはさながら読者のようで、作者が作者を俯瞰しているような自己言及的な構成は、そのまま自信家な人間の登場人物にもにじみ出ているみたいだ。

 

地上界のこと

やっと人間の話をすることができる。とはいっても、本書のほとんど9割以上が地上界のことなのに、要点としてはクインテンが生まれ→オノとクインテンが一緒に石板を奪還するのみ。天使の意図に沿った整理だからそうなってしまうんだけど。

 

ストーリー詳細は最後の参考別紙1に譲るとして、オノとマックスは若者としての出だしは社会の成功者の部類といえるだろう。

オノはクインテンの戸籍上の親で、17年間実親だと疑わないで生活している。マックスはクインテンのDNA上の親かつ育ての親で、DNA上の親であることは知らずに死んでいく。

二人とも社会での欲求がある。というより、尊大さというか。

宇宙を見て自分は小さいと思う人の気持ちがまったくわからなかったよ。人間は宇宙がどれだけ圧倒的なものか、知っているものじゃないか。(上p408)

結局社会的欲求というものは直接的には何だかは分からないもので、自分自身への自信のようなものが社会性を助けたり足かせになったりするということだろう。

オノがアムステルダム市会議員という成果をもってしてもピンとこないということを示している。※『V.』シェーンメイカーの対比も面白い(link:拙記事)

家族生活も、言語学における進展となんの変わりもなかった。アムステルダムの市会議員になることが人生最大の目標だという人たちがいるのは知っていたが、彼自身はなにかすることがあるのを喜ぶ程度だった。(下pp055-056)

 

ただし、才能ということについてはどうか。これは正真正銘本人たちの生きる意味になっているようだ。

オノは5000以上の言語がわかること。

子どものころ、家では自分の語学の才能について話したことはなかった。だれでもちょっと勉強すれば、習得できるものだと思っていたのだ。才能とはそういうものだ。(上p051)

マックスはナンパが得意なこと。

<人は楽しみのためにこの世に存在するのではない。セックスが肝心なのだ>というのが彼の持論だった。(上p038)

実は、この能力は天界のオーダーである。オノが石板奪還を手伝えたこと、マックスがアダを口説き落とせたこと、に相当する。

これに即してアダとクインテンについても考えてみたい。

 

アダはクインテンの母親だが、子が生まれる前から植物人間状態になってしまい、ストーリ上からはフェードアウトする。凡庸な人であるように見えながらも、やはり才能があると言えるのはチェロだろう。アダもその凡庸さと対照的に、するっと簡単にコンセルトヘボウ入団するような印象で描かれている。これが不思議だが、子作りのきっかけとしてのキューバ演奏渡航という天界のオーダーと考えるべきかな。

 

クインテンは、他の人間に比べて一段階、天界オーダーが濃厚である。何といってもクインテンから、自由意志のようなものはほとんど感じられない。オノもクインテンも自分が何になりたいか(下pp186~187)分からないが、その質感は全く違う。クインテンは社会の因果関係を考える気すらない上で、分からないのだから。

 

面白いのは、天界オーダーであるにもかかわらず、それは理由なく○○すべし(定言命法)として自覚され、社会的には才能として処理されるということ。

天使1の言でもそれがはっきりしている。

だが、おまえはそれを記憶として思い出さないであろう。自分自身の考え、素晴らしい思い付きだと思うであろう。ここで地上のことをほとんど知らないのとおなじぐらいごくわずかしか、地上に降りたらこの世界のことを覚えていないであろう。(上p306)

 

天界オーダーが完了すると、才能は社会から分断される。個々人にとっては取り上げられてしまうかの様に見える。

マックスはナンパできない田舎に、アダは仕事ができなくなり、オノもエトルリア語解析の間違いが判明して学会から締め出される。

才能の社会性には終わりがある。

 

 

ところで、私の個人的な着眼点であるところの、社会の目的はどうなっただろう?

既に天界のオーダーがあることが分かったので、全ての目的は天界の影響がありそうだ。だけど、[天界の命題3と4;命令は地上界に従って動かすことしか出来ない]と、各人が受け持つオーダー度によって程度差があるようだ。オーダーの遊びである自由度分は、人間の目的と言ってしまっても良さそうだろう。

 

クインテンは高次元で天界オーダーを担っているので、人間の目的というものを持ち合わせていない。強い。

これから先の数時間のあいだにもっとも大事なことをしなければいけないという気がしていたが、その後は物事が自然に運んでいって、自分がどこに行くべきか見えてくるのだと、彼は確信していた。(下p481)

しかし、オノの政治活動、マックスの天文学は比較的人間の目的と言っていいのかもしれない。

自由意志という聞こえのいい自由度は、しかし時間の因果関係と意味の妥当性を繰り返し問い返される。いくつか引用をしたいと思う。

キューバへ行く決心の問答について。

  • 世界は―少なくとも地球においては―ひとつの巨大な、でたらめにつくられたがらくたなんだよ。それが不可解な理由でいまでも多少機能しているだけなんだ。人間はもともと宇宙に属してないんだが、いま、こうしてそこにいると、あらゆる点ですべてが可能なんだ。(上p230)

アウシュヴィッツについて。

  • どうせいつの日か、すべて取り返しがつかなくなり見捨てられてしまうのならば、なんでも可能で、なにをしても許されるのだろうか?天国でも犯罪的に記憶を失うという恩寵なしには、永遠の至福は得られないだろう。(上p186)

アダの事故直後

  • 「なんていう意味のない混乱なんだ。あの木が倒れてくるところにちょうど通りかかるなんて。なんでそんなことになるんだよ?」<中略>彼にはオノがいまはじめて、存在の意味のない混乱を自分のこととして経験しているのがわかった。(上p418)そしてマックスには自明のことだった、と続く。

傲慢だったと思えばすぐ後に妙に悲観的になったりする感じ。それでもオノもマックスも、自分の人生結構いい感じ、と思ってそうだなぁ。

 

そして、人間の目的は残念ながら成果に結びつくことはないだろう。

オノ自身はこれでおしまいだった。もう、降りたのだ。ヘルハは死んだ。二度と政治などやらない。二度と恋人もつくらない。 (下p204)

いつでも戻ってくると、うれしい気持ちになった。それは彼がどうしても国際的な天文学者のトップグループにはいり込むことができなかったせいかもしれない。(下p274)

政治も天文学も失敗だったという認識を当人たちは持ったであろう。マックスが死んだことを聞いたオノはあいつも「才能が足りなかったってことだよ(下p372)」と言っている。これを壮年期の終わり、失敗者が言うあたりにリアリティがあると思う。

 

何といっても、神意にない解明をしてしまったマックスは隕石を落とされて死亡する。マックスが解明したことは[天界の命題6]に相当している。せっかくなので記載しておくと、VLBI観測でクエーサーMQ3412の最も強いスペクトラム線の変化を調べると膨張する宇宙より無限に速く接近しているようだ。それは、MQ3412の直線上に消失点があり、時空間的に別のものから何かが生じているということ。(下pp261~279:抄訳)

これが人間からの目線だった。世にいう天国の発見ということ。

 

オノも一つ発見したことがある。これをして最後のまとめを始めることができそうだ。

 

 

天界と地上界のかかわり

天界と人間との共通理念はどのようであっただろうか?

 

オノの発見の前に、

テマート氏の建築人生最後の締めくくりが興味深く思う。人間の尺度に即した人文主義建築と、19世紀古典主義的革命建築の違いについて。

パラディオのような人文主義的な建築家は、と彼は話した、設計の際にヴィトルヴィウスが発見した神的・人間的身体の比率である四角と円だけではなく、<中略>ピタゴラスの発見をも指針としていたのだ<中略>音楽理論が世界、そして肉体と精神、建築術の形而上学的基礎であろうということは、当時、反啓蒙主義的ナンセンスとして拒絶された。それが一直線にブーレ―とシュペーアの台頭につながったのだ。(下pp239~241)(cf.下pp179~183:死と建築)

 

これはテマート氏(人間)の視点からすれば、人間性の観点であり、まさに人文主義そのものである。パンテオンもそうだし、神のお立てになった真の幕屋(下p423)も例示にあがっている。真の幕屋はイエスが通った幕屋ということらしい。

つまり逆に言えば、天界の視点では、人文主義建築は天界のオーダーであると言っていいだろう。そしてブーレ―やシュペーアの建築物については、ルシファー・サタンの系譜だと言いそうなものだ。

 

人文主義建築のように、クインテンならクワドラータ書体とか、地上界における神的なものというのが取り出される(聖遺物文化的な衒学性とも解釈できそうだが…)。

 

オノにとって、それは言葉だと思っていた。少なくとも失敗者になるまでは。

それが政治でそれが権力なんだ。すべては言葉によるんだ。とぎれることのない言葉の吹雪だ。でもそれはふつうに話すのとはちがう。それは表明を行うことなんだ。行動なんだ。<中略>神なら問題ないだろう。<はじめに言葉があり、言葉は神と共にあり、言葉は神であった>(下p110)

これは天使の言とも一致するのである。

天と地はもともと言葉という手段のみつながっているものなんです。この作戦こそがそのことをふたたび明らかにしたんですよ。(下p012)

どちらもモーゼの十戒をさした発言になる。

 

ただし、オノはキューバ訪問のスキャンダルで政治生命が終了する。妻や彼女も死に、言語学会からも追放される。そして失敗者になった。

失敗者になったところで、本書最大の気づきを得る。

 

金の壁(下pp323~324)」である。それをまとめたいと思う。

A,金の壁とは、社会機能の最高権力そのもの

B,権力者は普通の人と変わりなく、ただ金の壁の奥にいるだけ

C,金の壁は、被権力者の崇拝・畏敬・恐怖の念を結晶化したもの

D,社会全体はもれなく何かの権力に浸っている

E,政治権力とは「だれかがなにも知らないことを実現できること」

 

これこそ最大級の人間の目的じゃないか。 

金の壁の先まで体験したオノの人生の回想。

 

さらに、権力要因の優先順位をも規定している。(下p326)

Ⅰ、肉体

Ⅱ、人間の関係

Ⅲ、考えと言葉

(後ろ暗いことに)オノにとって言葉は3番目に降格したのであった。

どうすればまた、わたしたちの心臓をドキドキさせることができるでしょう?それは畏敬の念を強制することによってのみ可能なのです。<中略>これは見識ある独裁者の権威主義的な支配によってのみ実現できます。(下p335)

これを敷衍していくと、肉体とは、カリスマ、「才能」の領域といえるのではないだろうか?

才能とは天界のオーダーに即したものであったはずだった。

本書に即していえば、肉体によって政治を成したものにはカストロ、ナポレオン、ヒトラーそして、最初にそれを表明したのはヨハネでした。<その言葉が肉になった>(下p333)天界への表象はこうして担保されましたよ、と。

これがオノの天国の発見だ。

 

なお、発見はしたけど、息子が天界オーダーに従っていることは分からなかった。さもありなんという感じだ。

面白いのは、自分の杖が奇跡として崇められている様相(下p538)は見ているのに、ということ。閑話休題

 

実はオノはもう一つの天国の発見をしている。

[天界の命題7]である。引用しなおすと、

<光>のなかに<闇>の芽が潜んでいるように、<闇>はわれわれの<光>に向かっており<中略>身分のつり合わない結婚のような結びつきは、最終的にわれわれの世界の存在の意味(上p306)

いつ感づいたかというと、アダに子供ができたとき。自分の不倫と子供ができた喜びのバランスについて考えていた時である。

もしかしたら、とオノは考えた。本物の清らかな愛はすべての花がそうであるように、根ごとたい肥と泥に浸けると花咲くのかもしれない。(上p345)

実はマックスも泥をこしらえていたし、アダの万引きも泥の一つとしてカウントすべきなのかもしれない(アダはマックスとの性交に罪悪感を感じてないかもしれない)。

 

 

なんだ、天界と地上界は同じようじゃないか、と思えてくる。

ちょっと待ってほしい。

天界と地上界はどう似てるのか。

 

天使2は読者みたいで、感嘆まじえて報告を聞いた。

そもそも天使2は天使1の上司であって、

天界は天上位階制という役所制度を採択している。

そもそも天界は権力構造を伴う組織ということだ。

そして報告の最後に突然キレる上司…

 

天界と地上界の間には「金の壁」があったということではないか。

これが本書結末の謎への回答であると考えたい。

 

さいごに余談となるけど、

テマート氏の建築談の中で、人文主義と新古典どちらにも属さない建築物を一つ類推させてる。

それはピラミッドだ。

ピラミッドはキリスト教圏の天界の文脈では推し量れなかったからであろう。死の観点では19世紀建築に近いけど、サタンの影響では無いだろう。

 

これは古代エジプトには古代エジプトの、金の壁があったということ、キリスト文化から分離してるということ、と読んでいいんじゃないか。

オノとマックスが初めて会った日にも、エジプトのヒエログラフについての会話をしてたんだったっけ。

「まいったな。でも<パウト>っていうのは?」

<中略>神々が創られている原子物質のことだと言っています。でも実際はもっと複雑なんです。『死の書』のなかで創造の神はこう言っています。『わたしはわたしの創る原子物質で自分自身を作りだした。』」(上pp050-051)

※下記別紙資料になります※

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