第三の警官(フラン・オブライエン著 筑摩世界文学大系68 1998)

「鉄製自転車を乗り廻すことのに生涯の大半を費やす人々については、原子交換の結果、本来の性格と自転車の性格との混交が認められる。この教区の住民のうち半分人間、半分自転車と目される人々の数を知ったらあんたも仰天するだろう」(6章 p386)

ジョイス2・オブライエン (筑摩世界文学大系)

ジョイス2・オブライエン (筑摩世界文学大系)

 
※以下の内容には『第三の警官』のネタばれが含まれます※
 
テクスト中心で作品を考える(たぶん・・・)記事なので、作品を俯瞰する都合上どうしてもネタばれちゃいますけど、本作は特にその部分が面白いと言う人が多そうなことに配慮して、本編前にこんな前振りを挟んでおります。
未読者向け本作の一言まとめは、上の引用のような、トンデモ不思議理論に身を置いて翻弄される話という感じ。ふー、ネタばれないと何も書けないっす。
ちなみに、「そのこと」について私個人は結構すぐ気付いたので、2013年現在ではもはや「そのこと」に特別頓着しない人も居るだろうとは考えられます。日本の昔話にも似たようなのがありますし・・・おっと!
 
というわけで以下は本当に容赦なくネタばれです
 
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●本作のメタ的構造●
・・・という経緯があったので、個人的にはネタばれるかどうかにはあまり興味がない本作なのです。
ストーリーは、老人殺しをした主人公が黒い箱を求めこの世ならぬ警察を行き来するが、自分が死んでいたと気付き再び警察署に行くことになる話。
ちなみにどの時点で私が、主人公が死んでいると分かったかということですが、具体的には、3章で非常に牧歌的な道をただひたすらに歩いてる主人公の姿が『やし酒のみ』っぽいなぁ、と思った時でしょうかね。『やし酒のみ』でも同じような雰囲気の所があって、どんな文化圏でも死ぬってのはこういうもんかーという。やたら平和な世界を何故か一人で歩いている、というような。あと、本作の主人公は名前を忘れちゃうんですよね。それってやっぱ空蝉じゃないわな。そしてダメ押しに、冒頭のド・セルビィの高説で死が仄めかされてるので。
 
円環機構については、私にとっては子どもの頃からテキストサイトなんかではkanon問題というのが盛んで、「ループもの」というのも、ひとジャンルでしたが、
ここで特別思うのは、このオブライエンにしても、グリムウッド『リプレイ』にしても、何にしても人生が円環するということは言われも無く不気味なものだ、という印象を醸し出しているところ。
というわけで、死後の世界は存外陽気な所だけど円環するのは不気味である、という発想は面白く、何か人間の本質的な部分を突いてるような気がするんですよね。そこには興味があるなぁ。煉獄がつらいってアイデアもこれに近いような。
 
●トンデモ理論の飛び交う世界●
冒頭で引用した人間自転車説みたいなことが平然とまかり通る警官たちもさることながら、トンデモ思想家のド・セルビィもぶっ飛んでる。これがいかにも権威的に膨大な注(たぶん創作)が付いてるのが面白くて。地球がソーセージ型だとか、夜は大気の汚れで起こるとか。でも所々良いこと言うんだよなーこのカリスマ御大。道は風景を規定する、とか。
主人公が傾倒してしまうのも何となく分かる気がする。こんなだから警官に対しても、はじめは警官を騙して黒い箱の在りかを聞き出そうとするだけど、逆にだんだんトンデモ話に感化されていって目覚めていくのが微笑ましい。
 
●警察署とは何か?そしてなぜ「第三」か?●
ここが本作の最大の関心事にして、よく分からない部分。上2つのトピックで十分面白いということで何となくうやむやにしそうになっちゃったよ。でも、主人公の死、ひいてはこの世界での死というものを考える上では警察が重要なのだ。
 
まず、警察署については、死んだメイザース老人が少し言及してくれている。老人は、自分固有の色に沿った衣装を毎年重ねて身につけるものだと言う。その衣装が重ねられて真っ黒になった時人は死ぬらしい。だから、薄い色ほど長生きなんだとか。
いずれにしてもわしは毎年新しい衣裳を一着手に入れた
どこでそれを手に入れたのですか?
警察。外歩きもかなわぬ幼い頃にはわしの家に届けられたが、長ずるに及んでからは警察署まで取りに行くことになった
<中略>
警察当局にはどんな人がいるのですか?
巡査部長ブラックとマクリスキーンという警官、それから三番目にフォックスというのがいるんだが、これは25年前に姿を消して以来消息がない。はじめの二人は署に詰めているが、聞くところによればもう何百年もそこに腰を据えておるそうだ」(2章 p352-353)
 
これを聞いて主人公は何故か、盗もうとしている黒い箱を見つけてもらいに、あろうことか警察に行く事になるわけだけど、何故だ!っていうね。もうロジックじゃなくて強迫的に警察に向かおうとする。
で、ある一つの仮説だけど、もしかしてこれが警察署の役目なのかもしれないとか思う。つまり、老人が言ってる話は、死んだ後の何か、四十九日的なちゃんと死ぬまでの修行みたいなものなのかも。主人公はこのシーンで死んだわけだけど、老人もかなり最近死んだわけで、現実と霊界の間みたいな所で二人は出会ったのでは。
だとすると円環というのは無限ではない。衣裳を手に入れるような作業を一定終わらせると正真正銘死ぬことになる、とかね。主人公は終始黒い箱には固執し続ける。だからほとんど箱に操られるようにして動いてる。だから、この黒い箱に従って何かの通過儀礼をしてるのかもしれないなぁ、と。主人公が生に未練を持つのも、死んだ原因も、この黒い箱に関わってくることなので。
だからこの線で考えられる筋書きはこうだ。2週目のはじめに、主人公はやっと手に入ると思った箱をディヴニィに良いようにされていた(と仮に解釈する)。ここでディヴニィと一緒に警察に出頭することになる。段々と黒い箱が自分にとって何だったのか自問することで、最終的には固執が無くなり黒い箱に追われた地獄のような(著者の言)円環から抜け出せる。・・・まあ抜け出せるというのは希望ですが。
 
これが妥当かは分からないけど、この主人公が黒い箱に固執しているということだけは確かなように思える。だからこそ警察署から現世(?)に帰る時にもどうしても老人の家に長居してしまう。ここでまた第三の警官に半ば黒い箱欲を誘発されてしまう。
さて、ここで何故「第三」の警官なのか?と疑問に思う。これが実はほとんど良く分からない。というのも、彼は最後の老人の家でちょっと出てくるだけだし、そこでのやり取りも話の根幹を担うとはあまり思えない。
 
第一の警官=巡査部長は主人公を言われも無く絞首刑にしようとした。第二の警官マクリスキーンは、実は黒い箱の中身であると後に判明する万能の事物、「オムニアム」の素晴らしい有用性を見せてくれた。では第三の警官フォックスは何か?
フォックスについては、巡査部長でさえ老人に毛が生えたくらいにしか分かっていない。
「・・・彼の姿を見かけることは決してないし、彼のことが話題になっているのを聞いたためしもない。それというのも、仕事熱心な彼はいつでも受け持ちの巡回区域に出向いており・・・」
<中略>
巡査フォックスはある年の6月23日まるまる一時間マクリスキーンと個室に引き籠っていたことがある。その日以来彼は誰とも口をきかなくなってしまって・・・」(6章p380)
彼がしたことといえば、黒い箱=オムニアムを使って二人の巡査を翻弄し、偶然にも主人公が死ぬのを阻止したこと。そして黒い箱を主人公が持つように手配したこと。
マクリスキーンと個室に籠って、というのはたぶんオムニアムの有用性を知ったことなのではないでしょうか。そして今やフォックスは二人の警官が使う不思議な力についてもオムニアムの力で全て操っているように思える。誰もそうとは知らずに。
主人公も結局黒い箱を手に入れることは無かった。
 
ところで、フォックスの顔は老人と同じだったそうな。先の説とは矛盾するけど、もし、始めに老人の幽霊と話していたと思っていた人物がフォックスだったとしたら?すると主人公の行く末を操っていたのは黒い箱というよりフォックスなのではないか?警察署の話を始めたのも老人(=フォックス?)だし、絞首刑を免れたのもフォックスの「偶然」であった。警察署周辺はフォックスの思うまま。
一つ手違いがあったとすれば、主人公が警察署から逃げ出した時、巡査部長の示した原則の一つである可能な限り左折を旨とすべし(4章p370)を破り、右折したこと。そして黒幕フォックスのお目見えと相成ったのである。主人公が死んだと思っていたと言っているフォックスだが、ところが神がかった手腕で素顔も見せず、再度主人公に黒い箱を誘惑することに成功した。
そんな考え方もありかなと思う。
 
 
最後になるが、
どうやら主人公は死んでいるらしい。それは良いとしよう。それでは、もし彼が警察署で絞首刑になったらどうだったのか?これについて考えるのは、本作をとらえる上でとても面白い命題のように思われる。
主人公の心の声ジョーは夢の中で、人間は内部なるボクの種族たちに安んじて全てを託していると言い、更にボクが君のもとを去る時、君は死を迎える(8章p408-409)と言う。
主人公が絞首刑にされる寸前までは、どうやら死んだら凡俗以上の内的特質の真正にして純粋な核心(10章p437)になりたいと思っているみたいだ。
いずれにしても、彼が心酔するド・セルビィが言うには、人間存在は幻影にほかならぬ<中略>死と称される至高の幻影の接近に眩惑され心を煩わすごときは、思慮深き人にそぐわぬ所行である(冒頭引用部)そうだ。
本作の総意として、人間という存在に固執することにはあまり賛成しないらしい。それは、人間はどうせ生きているのか死んでいるのかも分からずに警察署やなんかをさ迷っているし、その世界は第三の警官のような者に干渉されているかもしれない。そうでなくとも気付けば私は半分自転車になっているかもしれない、という不可避の事態に常に直面しているとの警告からではないだろうか。
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