千年の祈り(イーユン・リー著 新潮クレスト・ブックス 2007)

話して何が悪いと思うでしょうが、既婚男性と未婚女性が話すのは許されないことでした。あの頃は、そんな哀しい時代でした。そう。あの時代にふさわしい言葉は、哀しい、であって、若い人たちがよく言う、狂った、ではない。(千年の祈り p243)

千年の祈り (新潮クレスト・ブックス)

千年の祈り (新潮クレスト・ブックス)

※以下の内容には『千年の祈り』のネタばれが含まれます※
短編集てどうやってレビューすればいいんだろ。短編自体は短いわけで、筋のようなものを通した上で、様々な方向から見回すような作業をさせてくれない。かといって10編全てをメタ的に眺めるのではあまりに表面的すぎて一回性を活用できないような気がする。
今のところ暫定的に、短編はたまにちょっとだけ読むことを醍醐味にしようと思った。
もうひとつレビューしにくい理由があって、本書は、中国の女性がアメリカ小説として、中国について書いた(主に大戦後から毛沢東を踏まえたものが多い)小説である、ということだろうか。もう、状況が違いすぎてROMるしかなかったのかも。でもそれが読書の醍醐味だと思うから。ジュンパ・ラヒリ(こっちはインド)の『停電の夜に』を読んだ時も同じような感覚になったな、と思った。上で紹介した、狂ったではなく哀しいというニュアンスも、分かりそうで分からないところがある。
また、私は男の子なので、出産することはおそらく今生ないと思われるけれど、子どもについての記述も多くみられ、これもまたROMらざるをえなかった。以下『ネブラスカの姫君』最後のシーン、長いこと堕胎を決意していたサーシャの独白
ところがふたたび赤ん坊が動くと、急に泣きくずれた。母親になるということは、きっとこの世でもっとも哀しくて、もっとも希望に満ちたことに違いない。一度愛しはじめたら、その底なしの愛にどこまでも落下していくのだから。(p107)
ただ、中国らしい雰囲気を些細ながら見ることが出来た部分もあって、例えば、『市場の約束』で、最後にあらわれる堅気な(?)物乞いがそうで、金を乞う代わりに自らの体を切り裂いたりする。よくこんなの漢文で読んだわ。。。
停電の夜に (新潮文庫)

停電の夜に (新潮文庫)