〔映〕アムリタ(野崎まど著 メディアワークス文庫 2009)

「映画を見て、人生を過ごしたのと同じだけの感動を与えられればいいんです」
彼女はそんなことまでも事も無げに言うのだった。 (第一章 絵コンテ p51)

[映]アムリタ (メディアワークス文庫 の 1-1)

[映]アムリタ (メディアワークス文庫 の 1-1)

※以下の内容には『[映]アムリタ』のネタばれが含まれます※
この話を一言でまとめると、
大天才(かどうかは別として)が映画を素材にしてピタゴラスイッチを作る
しかし、最原最早(よ、よめねぇ・・・)は天才だと思う。
50メートル走で9秒付近で0.01秒とか世界記録を更新するのは天才ではないだろう。私が天才と呼びたいのは、ここでいきなり50メートル走で5秒とかそういうタイムを出してしまうような人のことです。つまり、既存のレール上の覇者は天才と呼ぶには方法がありすぎるし、努力の天才とかそういった言葉は<天才>の持つイメージや意味合いの混乱を生むということ。逆に言えば、天才とはいわゆるチートのような全く違う経路を用いた、という意味合いを含ませたいのです。
50メートル走を25メートルしか走らないで金メダルを取るとか、そういった。
つまり、最原最早は天才である。
しかし最早はちょっとドツボにはまっているな。世の中は思い通りにはいかないもんです。そして、そこがランダムだから180度いってあきらめを感じ、さらに180度回って安心してそれで生きていけるのじゃないか。刺激を常に自己生産するのはとても骨の折れる作業に思うけれどね。そりゃ当然天才だろうと。彼女もいつかは核に次ぐ兵器をしまって、普通の女の子になるときが来るかもしれないね、10年くらいはかかると思うけど。
もうひとつ、
この物語は十分ミステリーだったし、人も死んでいる。そこで、私はミステリーが苦手ですが、それがなぜなのかちょっと分かった。
それは、終わった後の夢オチ感ですかね。なんか、それまで必要のないものを必死で考えさせられてたかのような空しさというか。酒に酔った人に付き合わされている感じというか。そうだ、次にミステリーを読むときは酔いながら読もう。
<追記>2010.09.05
最早は天才だと言ったけれど、そのロジックに照らし合わせればかなり自然な生活をしている。二見は最早の「もう絵画は描きません。動かすのが大変なので」(p21)というセリフを受けて、おかしかったと言っているが、最早にとってこれら作品は薬なのだから動かすのは当然大変でない方がよいだろう。など。
だから、最早の素直さを信用するならば、実際には二見やその前に定元にされた人は殺されてはいないだろう。それは最早が忘れ物の概念に言及する場面が参考になる。
案件自体を記憶媒体から消去するというのは脳の構造上難しいと思いますので、表層的に記憶したものが追加情報の時系列的下層に埋没するか、情報のシンプルさという点で周辺記憶とフラット化されて出力しにくくなった状態ということでしょうか?」(p66)