神様のボート(江國香織著 新潮文庫 2002)

でもそれはかなしいことじゃないわ。<中略>すぎたことは絶対変わらないもの。いつもそこにあるのよ。すぎたことだけが、確実に私たちのものなんだと思うわ(1997・高萩 p20)
 

神様のボート (新潮文庫)

神様のボート (新潮文庫)

※以下の内容には『神様のボート』のネタばれが含まれます※
 
家族って何なんだろうね。近くて遠いですよね。近いってのは物理的な距離の話だけど、遠いって(むしろこっちの方が強く感じる)たぶん生きるスピードの違いだと思うんだ。
 
江國香織の本は実を言うと今まで読んだことがなかったから読んでみた。
子連れで遍歴を続けていた親子が、草子の高校進学とともに草子は寮に入り、葉子は東京へ帰ってゆく話 と、まとまらないです。なにせ300ページ弱の中に7年が詰まっているのだからまとまりようもないですね。だけど、実際はというと、7年も詰めないと300ページが埋まらないほどには平坦な物語になっている。
ただし、これは葉子の尺度であって、確かに葉子は旅に出て以来時が止まったような生活をしていて、四季は同じ軌道を円環して、こんなに動かない生活は「あの人」にとって(そして自分にとっても)不誠実だと思っているだろう。
葉子にとって引っ越すということは、ちょうど草子が「位置移動」するのと同じなのじゃないかと思う。ただ寝ているだけではつまらない。ただ、草子の位置移動の場合ママはいつも帰ってくるし、たまには4人で出来たりもするけど、葉子の場合はそうはいかない。なんせ「あの人」は東京で葉子の帰りを待っているのだから、昼夜を問わず出会えるはずがない(一応言っとくと、最後に葉子とあの人が本当に会ったのかどうかは定かではないと思う)。
 
だけど、草子のほうはというと、引っ越しは大冒険で、わくわくする。劇薬だ。それに小学生から中学生なんて何もなくても波乱万丈で生きていくだけでもものすごく大変だし、知り合いもコロコロと変わってしまう。
ちょうどいいので草子視点で遍歴をまとめるなら、
 
場所 時期       友達
高萩 小学校中学年 りか子ちゃん
佐倉 小学校高学年 沼田くん
逗子 中学生      依子ちゃん
 
引っ越すときに沼田くんは「仕方ないね、親の都合だから(p164)」とか言うけど、依子ちゃんは片親の草子に養育費はどうなの?とか聞いてきたりする。
 
早い話が、葉子と草子は同じ空間を生きているけど、それぞれが持つ物語の進行については全く歩幅があっていない。
葉子としても、家出してもいいし、引っ越すのだって草子が嫌なら延ばしてもいい、けど、なんで寮に入っちゃうの??って思ってる。本当はこんなことばっかりなんじゃないか。
草子が小さい頃は、このどうして?の多くが草子の側にあって、パパと出会う夢を見たりする。ただ、小さな頃にはドグマがあって、
すぎたことはみんな箱の中に入ってしまうから、絶対になくす心配がないの。すてきでしょう?(p20)
これがすんなり今の状況を打開できるアイデアのように思えるし、すごく素敵な感じがする!ということで、また実際に葉子も本当にこう思っているわけだから、ママの目線の先についてある程度の理解があったとも言える。
でも、ママは新しいものを拒まない。でも絶対慣れてしまわない(p189)ことを不思議だとも思う。
 
二人が寮制の高校に行くことでもめる時も、草子は、
ママにはわからないかもしれないけど、あたしは慣れた場所で暮らしたいの。慣れた場所で、慣れた人たちの中で(p208)
と言うけれど、「ママ」が「わからない」なんて思ってたというよりは、だらだらとした共依存関係を思い切って脱却しようとしているととらえた方が自然だし、だからこそ何か空しい感じがしていて、本質的には家を出るという事実と関係のないものだろうと思う。
 
こうして葉子の、ひとまとまりの物語は、足の速い草子によってここで強制終了させられた。だから、この物語は葉子の物語のようであって、実は草子の物語なのである。ここへきて葉子はひたすら果たしてきた今までの物語より前の物語を思い出すとともに、もう草子を連れまわすことも、ぬいぐるみと寝かせることも出来なくなった。
 
するとどういうわけか、あれほど探しても見つからなかった人が、以前の物語の登場人物が、ひょっこりと顔をだしたりすることもある。