私自身の見えない徴(エイミー・ベンダー著 角川文庫 2010)

以前、私は死というものは私たちの体のどこかに隠されているのかもしれないと考えていた。<中略>人それぞれちがう。それぞれの寿命が決まっている。あなたが死を迎える日、それは溶け出して体中から流れ出す。温かい、お風呂でたっぷりかく汗みたいに。その日まで。死は待っている――封印され、沈黙して。(part1 [20] 第9章)

 
※以下の内容には『私自身の見えない徴』のネタばれが含まれます※

エイミー・ベンダーの作品は、以前に『燃えるスカートの少女』を読んでいて、これが非常に素晴らしかったので、ぜひレビューしたいと思ったのですけど、短編だし、砂金をすくうようにして言葉を一言ぽんと乗せればいいという気もしなかったので、長編ならば是非にと思って手に取った作品でした。非常に直感的で独善的な短い文の中に、ファウスト作家もびっくりの他に類を見ない、彼女にしか表現できない(見えない)世界を描いてくれます。
 
この話を一言でまとめるとすれば、止めることで自ら世界から遮断されてきたモナ・グレイが、そのことに気づかされる話、とすることにします。
モナは、父親が病気になった時から自分も色々なことを<止め>はじめます。モナは、これはすごい技だ。上手く止めるためには、直感的に美しさを見抜かなくてはならない。どこで方向転換するかを感じとらなくてはいけない。たとえば、枝で桃が甘くなるように「止めること」が熟したときとか・・・(1p17)と言っているけれど、私にはこの言葉を素直に受け入れることは難しいです。
明らかに止める物事たちの発端はと言えばお父さんと一緒に止めなくてはいけなかったことだし、こういった言葉に先行して、でもお父さんは出来ないしなぁ、という気持ちがあるだろう。一つには、旅行の計画をするときであったり、また、陸上で走ることもたぶん。お父さんも元々は各種競技を総なめにするような素晴らしい陸上選手で、モナはいつも、いつかあの背中を追い越してやるぞ!と考えていたんだけど、本人が考えてたのとは全く違う形で達成してしまった、不戦勝になってしまったわけだ。
いまでは私のほうが父よりずっと速く歩くので、ミス・スピーディーという名前はその正しさのせいですごくいやな名前になった(4p52)
こうして多くのことを止めていくけど、それには代償が必要で、そのおまじないのようなものがノックすること。モナは10年弱の間に、ノックの中に欲望や自分自身の一部を封じ込める方法を完璧にマスターした。とても観念的で厳格な<自分ルール>のもとに。
 
でも、こうして自分自身の徴(しるし)を外部どころか自分にも見えないところに押しやっていくのが、無自覚にでしょうけど、どうも上手くいかないようだ。どうしたものか、となってくる。例えば、まれに、衝動的に斧で自分に徴をつけてみたくなる。斧で体を切ってしまえば、誰が見ても分かる一つの意味を持つでしょう、決して隠すことなんてできないでしょう。そうすれば、切り口から内側に封印していたものが抑えようもなく出てきてしまうかもしれないし、それはしょうがないことかも。
 
モナは数学の教員になるけど、子どもたちの描写がとてもいきいきしていて、ほとんど怪物たちのようで、本書のうりのひとつでしょう。
さて、子どもたちは対照的に、自分の世界を十二分にぶつけてくるのだけど、とりわけモナは、母親がもうすぐ死ぬことが分かっているリサ・ヴィーナスに激しく共感し、揺さぶられていくことになるわけです。
リサはとても得意そうに真実を掲げ、彼女は看板でありメガフォンであり、生理食塩水とビニールで宝石を作り上げていたため、私は猛烈に、ねっとりと、彼女が妬ましかったのだ。(5p65)
でも、いつもいつも声高に、母親が癌です!って言っちゃうのって、そのことについていつも考えてるからでしょう。リサも自分なりにそのことについて色々アプローチしてみていて、仮に自分が死んだらどうか?とかそんな気持ちがたまによぎるのも、あるいは<母親だけが死ぬということ>についての手探りのある視点なんじゃないかなぁ。
遂には、斧で自分を傷つけてみたいモナとリサを差し置いて、成り行きでアンが実際にけがをしてしまうわけだけど、このときリサはこう言います
わたしはわたしの腕を切り落としたかった、わたしはやりたかった、どうしてアンがやったりしたの、どうしてダニーのパパにはやれたの、どうしてアンが斧を取ったの、わたしはカーペットじゅうに血をまきちらしたかった、わたしは化学療法を受けたい、わたしは髪の毛なんかなくなりたい、わたしも病院にいたい、ママはたったひとりで死んでいかなくちゃならない・・・(22p266)
二人はとても近い悩みを抱えているんだけど、じゃあお互いに助け合いましょうとか、客観的に相手を見て落ち着けたとか、そういったうさんくさい話にはならなくて、むしろ困難さがひときわ浮き彫りになっていくのです。だってしょうがないよね、誰にもどうすることも出来ないことなんだから。
 
この後リサは、おでこを自らぶつけてたくさん出血することになるんだけど、これについてモナはこう考えるのです
裏庭で円から出ようとするわたしの父みたいに、あの子は自分の頭から押し出そうとしていた、追い出そうとしていた、消そうとしていた、額に穴をあけてやればたぶん悪いものが、泡から立ち上る煙のように、そのまま染み出してゆくんじゃないかと(23p271)
リサが本当にこんな風に考えていたとはあまり考えられないけど、こんなに具体的なイメージはモナ本人が一番強く抱いてきたイメージなんじゃないかい?ノック一回ごとにため込んできた<悪いもの>が、<泡から立ち上る煙>のようなものが出て行ってしまうのが恐いけど、いっそそうなってくれたら・・・
 
だから、理科の先生スミスはちょっと苦手だ。なぜなら、
賛成しなかった人、わたしが妥協したときにあっさり見抜いた男に、手をふれることなんかできない。その気持ちと戦うためには、バケツを飲みこまなくてはならない。泡立つお風呂をまるごと飲み干さなくてはならない(13p154)
から。スミスはどろどろした泡にタバコの煙を入れて飛ばしたいと思っている。こういうことを自然にしちゃうわけだ。そして、ずばり君はウソをついているね?とか聞かれちゃう。だからなんとなく決まりが悪くなって対面できないし、初めに家に来た時も耐えられなくて石鹸を食べちゃう(!)ことになる。自分で何か<悪いもの>をため込もうとしたのかも。だけどスミスはウソをつく君は全然好きじゃない!って言ってくれる。この時フラッシュバックした音楽の先生の言葉が何か格言めいている
あなたを愛しているだれかが、これは少なくとも部分的にはうそだとお互いにほんとうは心の底でわかっていることを何とか信じようと無理しているのを見るのは、やっぱりすごくひどい、すごくいやなことよ(17p205)
全然気付かなかったけど、スミスって潔白な男として出てくるんだな。。。
物語の最後に出てくるスミスは、モナに石鹸を食べさせないようにする。そんなものは体にため込まなくていいんだよ、ってことなのかな。やさしいね。
 
スミスの件だけではなくて物語は終盤になると、どうも、全てをノックのおまじないで体に封印するのが違うのではないか・・・という結論に達するかもしれない、非常に遠回りな事実というのがいくつか現れる。
一つには、子どもたちはみんなグレイ先生のノックを知ってるよ!ってリサが暴露すること。ノックは私自身の、うしろめたい、個人的なギロチンとして(22p261)こっそりやってたつもりだったのに。
また、部屋で首から下げる新しい数字を作っている場面で、ジョーンズさんも意外と自分の話を聞いてくれていたことが分かってきます。
そして、自分自身の思い込みも、はずれて肩すかしというか、とり越し苦労というかそんな感じで、自分の家に50のマラソンゼッケンがあったから父は50歳で死ぬかも、アンの家にジョーンズさんの42があったからディランの夫婦は・・・
ということは全く見当が外れていたという結果になったのです。この大いなる勘の的外れは、否応なくモナの心の在り方を変えるきっかけになるはずでしょう(当面は良い方向に?)。なぜなら、この直感はモナの死に対する幼いころの印象・経験を踏まえたものだから。
つまり、ジョーンズさんの言葉を借りれば、モナ、君は色褪せちゃったなぁ、という話です。本人も何と戦ってるんだろう?と考えるきっかけになったんじゃないかな。
 
こうして、モナは少しだけ物事、とりわけ死と向き合えるようになったらしい。父の51歳の誕生日には、以前には決まりが悪いと思っていたマラソン選手の写真集をあげたし、それまでどうしても会えなかったリサのお母さんに会いに行こうと計画している。父がしてくれた話も、死のある町に喜んで向かっていく改変を加えてリサに話してあげることになる。
 
リサはまだ現状に対する心の矛先をどう制御したらいいか分からなくている。でも毎日学校に行っていて、遊びもすれば算数がちょっと好きだったりする・・・そんなリサと先生をクビになったモナが映画に行く前にリサはレーズンアイスを買うんだけど、このラストシーンはとてもいいシーンです。
あなたを買う人なんてぜんぜんいないよー、と彼女はいった。レーズンが好きなの?と私は訊いた。いいえ、と彼女はいった。レーズン・ブランのシリアルなら好きですけど。私は笑った。わたしはレーズン・アイスクリームがお払い箱にならないようにしたいだけ
<中略>
捨てていいよ、と私は彼女にいった。気にしないから。悪いなんて思わなくても、私はかまわないから。
<中略>
彼女はちょっと泣き、涙が競走するみたいに頬をまっすぐ伝って落ちた。二、三分して、彼女は口を開いた。レーズン・アイスクリームを捨てちゃいやだ、と彼女はいった。いまでは溶けたアイスでコーンもぐずぐずになった、紫茶色のどろどろのしずくができてきた。(28p321)
 
リサのお母さんはいつか死ぬわけで、いつかもしかしたらモナの物語で状況を受け入れることが出来ることもあるかもしれないけど、できればその時にも、ぱっとしない運命にあるレーズン・アイスクリームを気遣うような気付きを持っていてくれるとうれしいかなと、そう思いますね。
 
燃えるスカートの少女 (角川文庫)

燃えるスカートの少女 (角川文庫)