マルドゥックスクランブル The1stCompression―圧縮(完全版)(冲方丁著 ハヤカワ文庫 2010)

男や、同性愛でも何でもいい。神様でも運命でもいい。愛されてるかどうか。それがないまま死んでしまうのが、一番、嫌だから。でも結局、それがないせいで、みんな死んでく気がする。実際に命が消えるんじゃなくて、色んなものが体の中で死んでくの。(第2章:混合気Mixture p141)

※以下の内容には『マルドゥックスクランブル』のネタばれが含まれます※
まず言っておかなければならないのは、私は今の完全版ではじめてマルドゥックシリーズを読み始めたこと、まだ本書以外のシリーズに手をつけていないこと、そしてわけあって映画を先に見てきたということです。
だから普段よりもなおのことメモ的な要素が強いということはご理解いただきたい。そして、映画についても多少触れたいと思います。
まずは取りあえず映画の予告編を貼っときます

私はマルドゥックスクランブルの1/3しか読んでないわけだし、ヴェロシティまで考慮するなら1/6ということになるわけで、何か総括的なことは一切書けない状態にありますが、読中の感想などをば。
バロットは一度死んだ少女である。というか、本書ではバロットがシェルに炎で焼かれるまでの回想をある種、生殺しのような状態として扱おうとしている。それは著者の思いであり、バロットの思いということ。ウフコックもここに「化石」という表現をしているし。
死んだということはさしあたってはどうでも良いことで、つまりこの話はバロットが生まれたところから始まるのである。ただし、生まれるにしてもそれまで生きていたわけだからかなり特殊な状況での誕生。昏睡中の識閾野に生きる意志があるかどうかの確認が行われるという方法が用いられている。知識や記憶がある状態で生まれるということはどういう気分なのだろうかしら。バロットはこんな風に考えた。
(なんで私なの―?)答えがないことが自分の人生だと決めるのは簡単だった。そうすれば残されているのは死だけだということも理解できた。
(生きていていいの―?)誰もイエスとは言ってくれない気がした。それこそ、無条件に愛された経験がない人間が抱える欠落だと泡がささやいた。その欠落に従ってこの世から消え去るか、一生涯イエスという答えを探すために生きるのか。(p48)
実は「イエス」らしき答えは、生まれてから数日のうちに(第1巻のうちに?)見つかっているのだけれども。それはただの合理化かもしれないようなものなんだけれど、それが当然かと思いますので。
それ以上に興味深いのは、バロットはこの段階でライフサイクルの発達課題のうち一番初めの段階である乳児期の課題「信頼―不信」にもろにぶち当たっている。ちなみに2番目の段階:幼児前期の課題「自律性―恥・疑惑」にも引っかかっているようなところがある。信号機をいじってウフコックに怒られるところとかね、微妙に違う感じがするけど、主旨はだいたいあってるかな。
つまりバロットはガキなんだよね、年齢以上に。それは今生まれたところだから。それまでは冷凍保存されていたかのようにある部分の経験が致命的に足りてない。そんな15歳のガキが法律ギリギリアウトの体と武器をもってしまう、と。
全くの余談かもしれないけれど、「ユリイカ」(青土社)の冲方丁特集の時に本人が言ってたことだけど、「おれが考える萌えを入れてみたらバロットになったって編集者に言ったら、これ全然萌えないですよ〜とか言われた」らしい。これが誤解なくその通りだとしたら、どちらかというと編集者のほうが萌えについてよく分かってないんじゃないかと思ってしまうけどね、いや、バロットが私の中で萌えるとかそんなんじゃないんだけど。
さて、じゃあ映画の話だけど、まず、映画はバロットの視点はあれでいいかと思うけど、実際に本を読んでみたら、原作の方ではウフコックの物語でもあるんじゃん、と思った。まあ、おそらく費用的・人材的な問題でバロットに絞った話にせざるをえなかったんだろうと思う。それ以外は結構がんばって原作に沿うようにしたんじゃないかと思った。そもそも原作に重要だけど長いシークエンスみたいな部分が無かったようにも思えるけど。
ともあれウフコックについて強調しておくと、
―あなたも、否定されたの?
「そうだ。09法案がなければ確実に処分されていた。俺は、社会的に有用であることを証明し続けることで、ようやく存在が許されている」(p123)
このくだりは確かあったと思ったけどな・・・とにかくウフコック自身もその存在自体が非常に危ういものだということ。あと、上に貼った予告編の1:00あたりでも出てくるように「私を愛して」と言われたウフコックがドクターに相談するシーンなんかが、なんとも愛らしいネズミなのである。
「彼女は法廷に出る決意をした。それに対し、俺はひどく申し訳ない気持ちでいるんだ」
ドクターは物珍しげにウフコックを観察していたが、
「もっとドライになるべきだと思うんだが・・・」
というウフコックの言葉で、急に分かったような顔をした。
「お前には無理だよ」
ウフコックはごろりとデスクの上で横になり、大きく溜め息をついた。(p154)
それにしてもウフコックが無理を押してバロットにつく理由がいまいち分からんのよな。所詮これが1/6しか読んでない限界なのだろう。
最後に一つ言いたいのは、SFってどうしてこう小松崎茂的世界観から抜け出せないでいるのか、というジャンルのパラドックスみたいな問題に目が向いてしまうんだな。この点に関しては自分でももうちょっと、かゆい所に手が届いてない感じでチラ裏的な感想で失礼しますが。